おでかけ記録

鹿児島おでかけ記録

中津城、奥平神社【御朱印】

前回の記事に引き続き、中津城と奥平神社です

 

 

中津大神宮の隣にあります。このあたりは元は中津城のあった城址で、神社と再建された天守閣のある公園になっています。

 

f:id:kinokomogura:20201114223824j:plain

 

奥平神社は中津城の城主様だった奥平貞能、信昌、家昌を祀っています。

御朱印は城内のショップでいただけます。お城の登城記念のもあります。

城内には奥平関連の鎧や槍などが展示されています。

 

f:id:kinokomogura:20201114223850j:plain

 

コロナのせいか、それとも元々なのか、書き置きに日付だけ入れてもらって頂く方式です。

 

中津城黒田官兵衛が築き、その後は細川、小笠原、奥平と城主が変わっていきます。

現在の再建された天守は奥平家の当主らが中心となり作られたもので、城址公園全体に奥平推しを感じます。

近年、黒田官兵衛が主役の大河ドラマが人気だったりもしましたが、官兵衛は城の隣に別の建物として史料館があります。微妙な機微を感じます。

 

私にとって城といえば、作った人とその子孫が末永く使って最終的に戦争で焼け落ちるイメージです。次々に持ち主の変わる城というのはなんだか不思議。

鹿児島県民つい島津を基準に考えがち。島津家はずーっと薩摩、ずーっと島津の特殊なやつなので基準にしてはいけないですね。

 

f:id:kinokomogura:20201114223830j:plain

戦争で焼けるという部分はイメージどおりです。中津城西南戦争で焼けました。

城、特に天守が焼け落ちればショックを与えることができるので攻める側としては戦意をくじくためにも積極的に燃やしていきたいやつです。

 

熊本城の天守西南戦争の頃に焼けてますが、原因は戦火ではなく失火とのこと。

とはいえ敵に攻められて焼け落ちると戦意喪失するので先に焼いてしまえと火を放った説もあるので、まあ結局西南戦争のせいでした。

九州には西南戦争で焼けた城が多すぎるので鹿児島県民としては何だか申し訳ない気持ちになります。

 

f:id:kinokomogura:20201114223837j:plain

 

自動販売機も中津城仕様にラッピングされています。カワイイゆるキャラもいるようです。